安芸市生まれ、安芸市育ちの
僕の母親は人一倍故郷・安芸市への思いが強い女性でした。
「安芸市の為に役に立ちたい...」と
そんな一心で設立されたのが
”株式会社安芸水産”でした。
やっとの思いで2013年3月20日に
創業した安芸水産ですが
その翌々年に
僕の母親は天国へと旅立ちました。
大河ドラマの舞台となったこの年、高知県にまたとない観光客誘致のチャンスが訪れた。
「龍馬の竹馬の友・岩崎弥太郎のふるさと、安芸市。
なんとかして人を呼び、安芸の魅力を知ってもらおう!」
まずは「安芸市の特産品を作ろう」と、
安芸市商工会議所の関係者が立ち上がり、
高知県屈指の水揚げ量と格別な美味しさを誇るシラスに着目。
安芸市本町商店街女性部がご当地メニューとして提供していた釜あげちりめん丼を、
大々的に安芸の名物にしようと考えたのが、
当時会長を務めていた故・山本美栄。
この美味しさを広く知ってもらうべく、
シラス加工業者やちりめん丼を提供する飲食店らとともに
「安芸釜あげちりめん丼楽会」を設立し、
県内外のイベントに参加するなどPR活動に奔走した。
2012年には「第3回土佐の食1グランプリ」で初優勝し、
高知県のご当地グルメとして人気を博すようになった。
美栄は、シラスを地域産業にして漁師、加工業者、飲食店などを盛り立て、
「一人でも多くの人に足を運んでもらい、観光振興、雇用促進、活性化につなげたい」
と考えるようになった。
折しもその頃、高知県では高知県産業振興計画における
地域アクションプランの一つとして、
「安芸市のシラスの魚価の向上」への取り組みが挙げられていた。
新たな加工・生産拠点を構築し、
漁業者の人材確保、所得向上、地域での雇用創出を図るもので、
県から多額な補助金が得られるも、多額な自己資金が必要な事業。
地元のシラス加工業者は、後継者不足の中で新たな投資はできず、
計画はなかなか進まなかった。
その後、高知県は安芸市で40年以上建設・土木業を行う
株式会社山本建設に対し、シラス加工業への異業種参入を持ち掛けた。
漁師の家に育った代表取締役社長の山本諭は、
事業の厳しい先行きを予測し、申し出を辞退。
しかし、妻である美栄は、シラス加工業が
安芸市にとってなくてはならない事業であることを訴え続け、
自身の身を賭してやりとげる覚悟を伝えた。
地元漁師をはじめ、ちりめん丼楽会のメンバー、
住民らからも大きな期待が寄せられ、ようやく諭の理解が得られた日。
大学を卒業し、東京で働く次男・高正のもとに美栄からの電話が入った。
高正は母の熱意に動かされ、
順調だった仕事を辞めて故郷に戻った。
2013年3月20日。
美栄念願の「株式会社安芸水産」が誕生。
建設会社の代表を兼任する父・諭に代わり、
実質上の経営を全て託された高正は、このとき若干25歳。
2015年9月13日、
志半ばで急逝した美栄の熱い情熱を引き継ぎ、
社員と共に地域の豊かな明日を担う。